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なんだか生きてていいのか早く死んだ方がいいのかわからなくなってきました。弱ってる。
最近の勉強の進捗状況
昨日から目が痛いこしあんです。
ものもらいなのか、昨日の強風で花粉とか菌が入ったせいなのか腫れてるし痛いし。ほんと勘弁して~。
酷くなってきたら病院に行くつもりです。
話は変わって。
所謂意識高い系には私はなりたくないです。
なりたくないというかそこまで興味が持てないから。
たまに勉強のことをブログに書いたりツイートしてるのは自分へのメモのつもりなので、スルーしてやってください。
メモしないと忘れちゃうとこ直したい。
確かにやりたいことはある。なりたい業種もあるしね。
(私はライターとWebデザイナーになりたいです)
そのためには今から勉強しないと間に合いません。
でも飽き性な性格が酷く、参考書が増えていくばかりで彼氏にも「また物が増えるから買うのやめて」と言われてしまいます。
業種以外にもやりたいことはたくさんあります。
Web系の勉強だけでなく、心理学の資格だったり、語学でも2言語(英語とタイ語。タイ語はまじで難しい)マスターしたいものもあります。
やりたいことがたくさん。
でも今の仕事もあるし、たまに体調が崩れて寝込むときもあるから毎日必ずできないのが困ったところです。
どうにか勉強方法をうまく立てれる方法がないかとさっきまでネットで調べたり、スタディープランナーの購入も考えていました。
ちなみに今日はV S Codeエディタのインストールと設定をやっただけでへとへとになって先に進むことができませんでした。
プログラミングのコードを書くアプリのようなものです。むずかcー。
明日からがんばりたいなー。
将来の夢の為に。
今のうちしか勉強できないからちゃんと、がんばりたい。
周りには頑張りすぎないでいいよと言ってもらえますが、やっぱり自分に厳しくしないとだらける性格なので毎日継続してやれるように習慣づけたいです。
そんなわけで、明日は実家にいきなり凸してついでにダイソーでスタディープランナーが売ってたら買ってくるつもりです。
趣味のゲームの時間をなかなか取れないのもなかなかにしんどいところです。
でも頑張らないと。
なんだかわかんない記事になったし、特にこれ以上内容もないので終わりにしますー。
生きてることを肯定されたはなし
某配信者さんの話だから記事にしていいのか凄く迷っていたけれど、どうしても書きたかったから今回はこのテーマにした。
最近生きているということに特に否定的になっていた。
元々精神病を患っていて希死念慮はある方だったが、その希死念慮が最近加速してきていた。
自分が存在しなければよかったのではないか。
何のために存在しているのか。
存在していることが自分自身つらい。
早く楽になりたい。
そんなことをずっとぐるぐる考えてしまっていた。
そんなことを思っていた時に、いつも見ている配信を何気なく見ていた。
今日も配信しているから見よう。毎日その配信者さんのはチェックしていて、日課になっていたからだ。
その日も鬱状態だった。そもそも最近は躁状態はなく鬱状態だけしかなかった。
そんな時に「生きているだけでいい」「疲れたときはゆっくり、しっかり休め」そんな話をしていた。
理由は伏せるがその配信者さんもきっと抱えているものがあるのだろう。
この言葉が私の中に凄く響いた。
今もこの記事を書きながらめそめそ泣きそうになっている。
今まで生きていること自体自分を否定していた。
ゆっくり休むことも周りのペースに合わせないから罪悪感があった。
「比較しなくていい」
比較するのは私の癖だ。
負けず嫌いというのとも違っていて、周りは当たり前にそういうペースで過ごしているから私もそうしなければならない。自分はペースが遅すぎる。
そうやってどんどん自己否定の沼にハマっていった。
周りから当たり障りないような態度でいられている気がする。
親にも友達にも彼氏にも彼氏の身内の方にも主治医にも職場にも「ゆっくりでいい」と言ってもらえるが、それは私のことは全て諦めてられているからだと思い込んでしまっていた。
優しさを素直に受け取れずにいた。
私自身自分に諦めてしまっていたから、そう思ってしまっていたのかもしれない。
ネガティブの極みという感じだった。
そんな中で偶然見ていた配信だった。
私はその配信者の方を尊敬していて、配信もツイートも心に響くものが多かった。(※ガチ恋ではない)
周りに言われるよりもその方の発言で心を動かされたのは、きっと抱えているものがある同士だったからだろう。
似ていたり同じだったりすることは、より共感しやすい。
正直なところ、周りの多くは心身健康でわかってくれないと勝手に思い込んでしまっていた。
そう思い込んでしまうことに罪悪感と申し訳なさは常にあったが。
今やっと、周りにも感謝できるようになった。
みんな私がよくなるために支えてくれているのだろうと思えるようになった。
ああ。また泣きそう。目がうるうるしてきてしまっている。
この間実家に帰った時に母親に「いつか親孝行をしたいんだけど、どんなことだったら嬉しい?」と聞いた。
その時言われた言葉は「元気になってくれるのが一番の親孝行だと思うよ」と言ってくれた。
今まで、病気になったり高校を中退したり(その後別の高校に転入したから更に金銭面の負担をかけてしまった)具合が悪く自傷行為をしてしまっていた毎日は心配をかけてしまっていて親を泣かせてしまった。
親不孝な娘だと思っていた。
でも、生きていることを肯定してくれた気がする。
家庭内がめちゃくちゃになってしまった過去があるが、今では両親共に友達感覚なくらい仲が良くなった。
彼氏ともいろいろと小さなことで揉め事だったり、不満もあるときもある。
それでも今までの元カレたちのように見捨てることなく、もう6年くらい一緒にいてくれている。
鬱の時は「元気ないね、どうしたの?」と気遣ってくれたり、私が自傷行為した時は親に連絡してくれて一緒に救急で病院にも行ってくれた。
今でもオーバードーズをしそうな時は止めてくれたり、病院に行きたくないと騒げばちゃんと話を聞いてくれる。
普段あまり感情を表に出さないタイプで何を考えているのかわからない時があるが、ちゃんとその優しさは私はわかっている。
いろいろ思ってしまっていた時はあったけれど、今落ち着いて考えたら恵まれた環境なんだろうなと思えた。
初めての彼氏には首を絞められたりレイプまがいなことをされたり、毎日口癖のように「死ね」と言われていた。
きっとその時から人を信用しなくなったのだろう。
寂しさだけで人と繋がっていた結果、元カレたちは私の重さに耐えきれずに逃げ出してしまった。当然だ。
今の彼氏は、私が長いフリー期間を経てできた彼氏だ。
純粋に好きだなと思って付き合えた彼氏だ。
あー。こっ恥ずかしくてこの話はこれ以上書きたくない(笑)
とにかく。今の彼氏とはいろいろあっても感謝している。
周りの友達、特に大学の親友ふたりには大学時代の頃からいろんなことで迷惑をかけてしまっていた。
夜中に急にグループLINEに「今から自殺したい」と書いてしまったり、休んだ時は次の授業までにノートを写させてくれたり、逐一体調を気遣ってくれてできるだけ一緒に行動してくれていた。
特に親友に感謝していることがある。
私がひとりで電車に乗れず、親が最寄りの次の駅まで迎えに来てくれた時合流地点まで一緒に来てくれたことだ。
親は泣きながらありがとうと言っていた。
というか。今私が泣きながらこの記事を書いている。ついに涙が出てきてしまった。
その親友はその後も路線が違うのに途中まで一緒に帰ってくれて、改札まで見送ってくれた。
その子はいつも私たちの前ではヘラヘラ~としていて、自分が優しいことをしているとは1ミリも表に出さない子だった。
数回しか聞いたことが無い話だったが、親が介護の仕事でつらい思いをしていること、お兄さんと上手くいっていないという家庭事情を話してくれたことがあった。
今になってその子も抱えていることがあるのだろうと思った。あの時もっと支えてあげれなくてごめんなと思っている。
いつかちゃんと恩返しがしたい。
もうひとり、親友がいる。
その子は本当に心が澄んでいる綺麗な子だ。ここまで優しい子は滅多にいないというくらい心が綺麗だ。
その子は一番最初に大学で仲良くなった子だ。
オリエンテーションの自己紹介の時、私はテンパりすぎて今思えば物凄く黒歴史で話したくないレベルなのだが、当時ピアスを耳に13個くらい開けていたので「趣味はピアスを開けることです」と謎すぎる自己紹介をしてしまったことがある。ああ。この自己紹介の内容だけは本当に忘れたい。
そんな変人な私と最初から今も仲良くしてくれている。
その子とは今でもたまに連絡を取り合っていて「こしあんが今どうしてるか気になってたんだ。元気にしてる?」と今も気遣ってくれる。大学生の頃の優しさは今でも変わっていない。
その子も抱えていることがあった。
深い内容は伏せるが、彼氏(現旦那さん)が性同一性障害なんだということを知り合って3日でカミングアウトしてくれた。
(旦那さんは今戸籍上も男として生活している)
結婚式にも呼んでくれて、私にとって初めての結婚式の参加はその親友の結婚式だった。
さっき紹介した親友と共に参加させてもらい、親友は「絶対泣かないし!!!!!」と言っていたがバージンロードを歩くのを見ていると参加者の中で一番泣いていた(笑)
勿論私も顔がぐじゃぐじゃになるくらい泣いた。
そのふたりの親友には本当にありがたいと思っている。
あの子たちがいなかったら、きっと大学生活は楽しくいられなかっただろう。
実は、親から私が三年の時に中退するか提案されたことがあったが大事にしてくれる親友、友達たちがいる恵まれた環境を捨てたくなくて「絶対辞めない。絶対卒業する。」と答えた。
そんな幸せな環境があるにも関わらず、もう早く死んで楽になりたいとつい最近まで思ってしまっていた。
そんな中で見た配信が心に響き、今は頑張って生きようと思えた。
周りに恩返しがしたい。何よりもそれが一番の目標だ。
生きているだけでいい。
同じように抱えているものがある人たちに、私もそう伝えたい。
仕事のはなし2
ついさっき。仕事の相談を今の職場に話してきた。
うちはそういう面も支援してくれるところだから、安心して話せる環境だし、こういうところは珍しいから有難いなと思っている。
私の最終目標は、ライターまたはWebデザイナーとして企業への就職することだ。
死ぬまでには絶対叶えたい。
一応、今のところは障碍者雇用という形で考えている。
とりあえず、今の職場からのアドバイスとしては週5で10-15時というMaxの時間まで働くことから始めようということだった。
私も早く週5にしたいが、契約上緊急事態宣言が明けてからということになってしまっている。
いろいろ一緒に次のところを調べてもらった。
気になったところは、大体経験者しかだめだとか、条件にブロガーが必須だとか既にスキルを持っている人のみの募集だった。
私はフリーランスとして働いていたけれど、著作権は譲渡してしまっているのでポートフォリオがない。
証明できるものが無い。
どうしよう~とふたりで考えた結果、アフィリエイトブログを作ることから始めるという話でまとまった。
アフィリエイトブログ(怪しいものじゃないよ!)はサイト自体を作成するのに初期費用がかかってしまう。
そこが引っ掛かりどころで、2年前から検討していたがなかなか手が出せなかった。
あとはジャンルが決まっておらず、うーんうーんと考えてしまうだけで2年も経ってしまった。
でも、今年は行動してみたい。
実践の年にする。
今までは周りに「そんなの無理でしょ」と否定しかされていなかったが、今日は肯定して応援してくれて嬉しかった。安心した。
今できることは日数と時間を増やすこと。スキルを身に着けること。ブログを開設すること。
がんばろう。ちゃんと自信を持って生きれるようになりたい。
悔いなく死にたい。
憧れの人はたくさんいるけど、いつか私も誰かに憧れられるような人間になりたい。
薬局での優しさ
おはようございます。仕事前です。
果てしなく眠くて電車で乗り過ごしそうでした。
今、目を覚ますためにドトールでブログを書きながら頭を整理しています。
ここのドトール、紙巻も喫煙席あるからめちゃくちゃ穴場です。
鬱の原因が多分わかりました。
理由っていうより薬の量が多かったからだということでした。
薬の量なあ…めんどくさい。
私は中学生の頃から薬を飲んでます。
人生の半分が精神病です。
眠剤も高校生の頃からで眠剤なしでは眠れなくなってしまいました。
そんな精神病歴が長い私ですが、薬局は家の近くのところでずっと変わっていません。
若干薬剤師さんが変わったりもしていますが、全員にこしあんだということは把握されています。
薬の在庫が薬局内にない場合は、家のポストまで届けてくれたり、薬を一包化にしているので時間がかかるからと終わったらスマホにかけてくれるなど、アットホームすぎるくらいお世話になってます。
そんな薬局でのこないだの出来事です。
その日は患者さんが珍しく多く、そっと自立支援(医療費が1割負担になるもの)とお薬手帳を出して外に出ようと思いました。
どっちにしろその時買い物でもしようと思っていたので、外出して待ってようと思っていたのです。
そしたら
「こしあんちゃんがいらしたわよ~!」「こしあんちゃんの薬どれくらいでできあがる?」
もはや苗字ではなく名前呼びな件。
ちょっと恥ずかしさはあったけれど、やっぱり付き合いが長いのでずっと子どもの頃のまま接してくれるのがなんだか嬉しかったです。
今日のブログはなんとなくそんな話をしたかっただけです。
特に中身のない内容でした。
書き終わったのでこれから仕事にいってきます。
バスがパニック発作を誘発するので15分くらい歩いていくようにしているのですが、今日は天気が良くてよかったです。
運動大事~日光大事~~~。
それと。
昨日、ツイステの缶バッジのガチャガチャを地元で見つけましたが見てないふりをして回さずに諦めました。
収集癖があるのでお金が足りなくなってしまう。
4月のラギー・ブッチの生誕祭にはドーナツパーティーをするつもりです。
おわり。
死ぬまでにやりたいことリスト
今日は実家に行ってきた。
親とはいろんな話をしたけど、仕事の話をちゃんと話してきた。
今までは病状の関係で無理しない方が良いと親にも彼氏にも医者にも言われていたが、そろそろ何かしたい、何かしたいと思えるくらいのエネルギーが湧いてきている。
今の仕事の日数は週3で、早く週5にしたい。
とりあえずいきなり週5にするのはいろいろ心配だからと職場側も気遣ってくれて、とりあえず3月の緊急事態宣言が明けたら週4からにしようという話になった。
やりたいことがありすぎて、良い意味でパンクしそう。
高校生の頃、同級生がやりたいことを瞬間的に、衝動的に実現させてたのがすごいと思っていた。
思いつきで芸能事務所に入るとか、今よりYouTubeが流行ってなかった頃だったがYouTubeの歌番組に出たり。
今、改めてその子に憧れている。
私のやりたいことは、ライター(ライティング)とWebデザイナーの仕事。
ライターはWebライターならフリーランスで経験はあるけれど、ちゃんと企業に属したいと思っている。
今の仕事も軽くコラムや商品レビューを書かせてもらっているが、まだまだ技術が足りていない。
あとは、個人ブログの運営もしたい。
私の考えていることは、
①障害者雇用でライターの仕事ができる企業に入る
②働きながら貯金をする
③貯めたお金でWebデザイナーの学校に行く
④Webデザイナーに転職
今のところはこんな感じ。
これを今日は親に話をしてきた。
まだ先は長い話だということを言われたが、それはすごくわかる。
いつになるかわからないけど、今のところ考えている死ぬまでにやってみたいこと。
どうやらWeb関連の仕事は今、需要が高まってきているらしい。
正直最初はWebデザインの仕事は全く視野に入れていなかった。
ずっとライターだけを極めようとしていた。
でも、いろんなブログを見ているとライター兼Webデザイナーをやっている人が多く、Webデザインとはなんぞ?と検索してみたら、めっちゃ楽しそうじゃん、これ。と思った。
Webデザインとは、サイトのデザインを考える仕事といえばわかりやすいと思う。
それにはデザインセンスも勿論必要だが、HTMLやCSSというような独自の言語も覚えなくてはならない。
今は独学でWebデザインの勉強をしている。
でも、独学だとやはり限界がある。
それに就職支援があることを考えると学校に通う方が断然良いと思って、学校に入るための貯金をしていかないとと思っている。
(散財やめなきゃ)(でも自分の趣味の為のお金は使いたい)(人の為に使うお金はもう嫌だ)
やりたいことがたくさんあって、まだまだ死ねないなと思った。
これが躁状態なのかと聞かれれば、うーん…ボーダーライン?って感じ。
自分としては夢だから躁状態だと思いたくない。
勿論、いろいろ経験していくうちに目標は変わることもあるかもしれない。
それでも、やりたいことをできるうちにやるのは損することではないと思っている。
私は人(同級生)より全然ゆっくりペースで生きてきている。
巻き返すとは違うけれど、私も早くそっち側に行きたい。
親友とも仕事の話ができるようになりたい。
こんな職歴でいうのもなんだけど、好きな仕事をしたい。
というか、好きな仕事でしか働けないと思っている。
好きな仕事というか得意なことを活かせる仕事がしたい。
人生を豊かにしたい。
悔いなく死にたい。
病状が酷かったころはこんなことは思えなかった。
病状の回復で、今のようなことを考えられるようになったのもあるし、何よりも今の職場が精神面諸々支えてくれたことが大きなきっかけだったんだと思う。
夢にときめけ、明日にきらめけ
私の好きな配信者さんがいつも言っている言葉。
ルーキーズのセリフらしい。
その配信者さんも夢に向かって頑張っている。
私も彼女のように頑張りたい。
部屋が片付いたらツイキャスで勉強配信(作業配信)でもやってみようかな。
そんなことも計画している。
それで、本題の。
死ぬまでにやりたいことリスト
・障害者雇用でライターとして就職
・Webデザインの学校に入学
・Webデザイナーの仕事ができる企業に就職
・個人ブログ運営(副業)
・有名にならなくてもいいけど、ツイキャスで配信者になる(トークのジャンルは未定)
・親孝行(今日聞いた話だと、病状がよくなることが親孝行だと言われたが、その他にもいろんなことで親孝行したい)
・ペットを飼う(犬猫のどちらか)
・賃貸でも都内のマンションに住む(2DKが理想)
・痩せて40キロになったらキープし続ける(ダイエットしたい)
私は都内で働きたい。
そのためには都内で働くことになるが、そうしたら都内に引っ越すことになる。
都内に住むのも憧れだった。一応小学生の頃は世田谷区に住んでいたが、東京にはまた戻りたいと思っている。
私の周りの友達は、やりたいことを叶えている子が多い。
私もそうなりたい。
年齢のこともあるからなるべく早くに動きたいと思っている。
それにはまずは病状を良くするのと体調管理からだ。
とにかくやりたいことに向けて、明日からがむしゃらに頑張ることにする。
今日は早く寝よう。
体調管理には睡眠が大事。
明日もやらないといけない家事がたくさんある。
今日は親にいろいろ話せて良かった。
文章にすると頭の中が整理されるし、気持ちがすっきりする。
やっぱり私は書くのが好きだ。上手い下手は別として。自己満だから。
眠剤が少し効いてきたような気がする。
彼氏が寝てくれないから結局まだ起きてることになりそうだから、寝れないのがつらいが、それもなんとか乗り越えるというか我慢するしかない。
お金の面と我慢の自己犠牲してしまうのは、物凄くストレスになるが幸せなことを積み重ねれば人生が楽しくなってくるような気がする。
がんばろう。がんばって生きよう。
明日からは絶対毎日薬を忘れずに飲むようにしたい。
またがんばるぞー。
おわり。
ふしぎなともだち
今思えば、私の周りには不思議な友達が多かった。
中学生の頃は、イマジナリーフレンドと話してる子と毎回違う男とセックスをしたと話す子と部活が同じだった。
中学生の頃の私は今より陰キャを極めていて、そういう話を聞くのが新鮮だった。
そして、友達と呼べるのはその二人だけだった。
謎なのがイマジナリーフレンドの子は、私にメールを送るとき敬語だったことだ。
毎回違う男との話をしてくる子は、いつの間にか噂が広がっていたようでさらに浮いた存在になってしまっていた。
それでも、特に深い話をしなくてもそのふたりといるときはなんだか居心地がいいような気がしていた。
帰り道に「友達が社長の娘でお金を自分に送金してくれるから」という謎の理由で毎回ファミマでアイスやファミチキを奢ってもらったりして過ごしたのは、中学生の頃の唯一の思い出だ。
もう会うことも連絡先もわからないから、再会は難しいけれど元気にしているだろうか。
もうひとり、10代後半からよく遊ぶ子も不思議だった。
私よりいくつか年上のお姉さん。
当時(高校三年生くらいの頃)、私は少しだけニコ生の生主をしていた。
その人は、そのときにリスナーとして頻繁に枠に来てくれていた。
そのお姉さんには、いろいろな大人の遊びを教えてもらった。
ホストクラブ、ハプニングバー、ゲイバー(レストラン?)など。
レストランに関しては、彼女が働いている場所だったので奢り(ホストクラブも奢りだった)でご飯を食べさせてもらった。
お兄さんたちもかわいい人たちで、優しかった。
ホストクラブはお酒を飲めない私にはあまり合わなかったが「社会科見学がてら行ってみよう!」とフッ軽(死語?)で行動できる彼女が憧れだった。
一度家に泊まらせてもらったこともあった。
どうしてそうなったか覚えていないが、ふたりでお風呂にも入った記憶がある。
いろいろな経験をさせてくれた彼女に、今すごく感謝したい。
中学の頃の友達と同じく、連絡先がわからなくなってしまったから今どうしているのかわからない。
元気に、昔みたく自由に生きていたらいいな。
私もあなたのような人になりたい。